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こんにちは、みやです。
前回の記事を書いたら、教師だった時の大変な思い出が蘇ってきてしまったので、
ここに吐き出したいと思います。
前回の記事→クラス替え。担任の配置はどうやって決まるの?
前回の記事で、力のある教師は大変な学年を任されるという話をしました。
私は、自分で言うのもなんですけど、それなりに教師としては同僚から頼られるようなキャラでした。
まだ20代だったんで、若かったんですけど、そこらへんの低学年しかもてないようなおばさん先生よりは役に立つと思っていました(自分で言う)
でも、気づいたんですよ。
この仕事、頑張れば頑張るほど、仕事量が増えるということに。
まず、仕事ができる人間は、校務分掌(学校全体の仕事)の受け持ちが多くなります。
重要な仕事も任されるようになるし、学芸会やら音楽会といった大きな行事のリーダーを任させることもあります(これほぼ強制)
そして、何より困るのは、
手のかかる大変なクラスの担任にされつづけるということ。
毎年毎年、その学校で誰もが持ちたくないと思ってるようなクラスの担任させられるんですよ。
もう最悪です。
そりゃ膀胱炎にもなりますよ
大体年明けくらいから先生たちで噂話が盛り上がります。
「次の6年2組、だれが担任かな?」
「あのクラスだけはいや!!!」
「あそこモンペ沢山いるもんね。」
「モンペいるってのに〇〇くんが暴力事件ばかり起こすしね」
「絶対いやだよね!!」
てな話も当然出ます。
その皆から嫌われているクラスの担任にされちゃうわけですよ・・・
本気で泣きたくなります。
今でも忘れないなー。
あれは6年生の担任をしていた時。
涙涙の卒業式。
手のかかる子たちだったけど、立派に育ってくれて、やっと巣立っていった。
ああー、すごく疲れたけど、やっと清々しい気持ちになれたわ。
と、職員室のイスにやっとこさ座ろうとした袴姿のわたしに、
校長「みや先生、ちょっと校長室にきて」
みや「え? はい!」
校長「お疲れ様。お陰でいい卒業式になったよ」
みや「はい、ありがとうございます!」
校長「でね。来年度の話なんだけど、みや先生には6年2組をお願いしたい」
みや「え!!!!!!!!」
校長「みや先生なら大丈夫だと思うから」
みや「いえ!! 自信ないです!!!!」
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校長「いやいや、ぜったい大丈夫」
みや「えー・・・・」
校長「ここでみや先生に断られたら、他のクラスの担任も色々配置換えしないといけなくなっちゃうし」
みや「そうなんですか・・・」
校長「頼みますね」
みや「は、はい・・・・」
いやもう、鬼でしょ?
卒業式を終えた直後の6年担任にこのタイミングで地獄見せます!?
この校長大嫌いですほんとに!!
この記事に出てくる校長ね→元教師が教える、学校への上手な苦情の伝え方。
イスに戻った私。
隣の先生「どうしたの? 校長なんだって?」
みや「次、6年2組らしいです」
隣の先生「(絶句)」
みや「(半泣き)」
この時の学校は、二年に一度しかクラス替えがない学校だったので
5年2組がそのまま6年2組になるということ。
5年2組は大荒れに荒れて崩壊している&モンペが多いクラスでした。
卒業させた子たちもそれはもう手のかかる子たちだったのに、またか・・・
と、ショックで茫然としていました。
頑張れば頑張るほど、大変なクラスを持ち続ける仕事なんですよ、教師って。
大変なクラス手当とか出せや!!
校務分掌多い教師には残業代出せや!!
低学年中学年しかもたない使えないおばさん先生の給料の一部こっちにまわせや!!!
ほんとにね、納得いかないんですよ。
普通の学級担任の教師の給料って頑張らなくても勤続年数が増えれば増えるほど上がるんで、
私より使えないおばさん先生の方がずっと給料もらってるんですよ。
こんなん、教師になりたい人減る一方ですよね・・・
離任式でこの校長と再会したとき、
「6年2組、すっかり落ち着いたじゃない! やっぱり俺の采配は間違ってなかったぜ!」
て軽く笑いやがって!!
どれだけ大変な日々を過ごしてると思ってるんだ!
「笑いごとじゃないですから!!」
とつい言い返してしまいました(怒)
私は自分の子どもが欲しくて退職したのですが、
この地獄にハマってしまって子どもを生むことをあきらめてしまった女性教師を私は何人も知っています。
まあ、結局彼女たちは、仕事を選択したということなのかもしれないですが、
地獄にいながら妊娠出産するって本当に大変だと思います。
出産適齢期の女性教師の希望も、担任配置を考える上で重視してあげてほしいな、と思います。
よんでくれてありがとうございました。
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